Return of the "彫刻三人衆"(2)

展覧会『吉原宏紀個展 GURU GURU』に合わせて行なわれたトークイベントの模様をお届けします。(開催日:2013年6月8日)

鬱々と

生島:僕はこの三人の作品を見てて、冒頭に見て来たような、一般的にイメージされる彫刻と比べて何が一番違うかな、と言ったら、小っちぇな、というのが率直にあって。特に古賀君のとか、ばり小っちぇなと思って。基本的にお金ないやん、美術家っていうのは。お金ない中でどうやって折り合いを付けてやって行くかっていうと、昔の彫刻家は、お金ないけど何とかお金を頑張って集めたり、貯めて、ばりでっかいものを作るぜ、だから彫刻だぜ、みたいな思想があったと思うんですけど、何かそういうのが無くなって来た気がします。それと、でかくなってくれば個人でやれないから、工房も共同で借りたりしてて、誰か展覧会やるときは、皆で行くぞ!みたいな感じで、ユニックでガーン!みたいな勝手なイメージがあるんですけど、そうすると個人技じゃなくなるというか、僕も近藤君の作品を手伝ったときとかまさにそんな感じで、搬入どうやってやろうか、みたいな。一方、絵とか描いてると、一人の時間、孤独な時間で深まって行くものというのがどうしてもあって、一人で鬱々とこもって、ジメジメやるみたいなものは、あんまり彫刻家では僕は感じたことがないんですけど、この三人に限っては、家でジメジメやってるな、みたいな雰囲気がビンビン漂って来るというか。この間の古賀君の映像とかも、すごい細々とやっとるなあ、みたいな感じで良かったんですけど。では、ちょっと古賀君の最新作の映像を皆さんに見ていただきたいと思います。



2013 『遠い川』

生島:溶かしているのは蝋?

古賀:市販の蝋燭ですね。川は筑後川なんですけど、田主丸のあたりです。

近藤:これ何月くらいですか?

古賀:これは今年の初め、一月三日くらいです。

生島:何で正月なんですか?(笑)

古賀:いや、映像を撮ってくれた友達がそのときちょうど帰省してたんで、そのときにやろうかなって。川の水も冷たい方がいいのかなと。

生島:要は、温めた蝋を川に流して固めて行くという作品ですかね。

古賀:その通りです。

生島:これはどういう経緯でこういう作品になったんですか?

古賀:川だったら、僕はずっと見れるな、と思って。そういう作品を作ろうかな、と思ったのがたぶん。あと、前にテトラで展示をしたときに水の循環機能に焦点を当てた作品を作りました。空気中の水分が雨となって地上に降りてそれが地中に浸透して、川に降り、海へ出てやがてまた空気の中に戻っていくような。でもその時は、地上に降りた水が土中を進んで行く、というところまでしか作品化できませんでした。それで今回はその続きで、川、という感じです。

近藤:"見れる" てのは映像にしたときに?

古賀:音も含めてだと思うんですけど、普通の映像作品ってけっこう見るのがきついな、とか、彫刻作品でも、自分に還って来るものって少ないなと思って。でも自然物はあんまりそういうことはなくて。

生島:この作品は映像のためだけに作ったんですか?

古賀:いや、この映像はポートフォリオとして作ったものなんで、映像作品として作ってないですね。

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近藤:まあ、ジメジメというと、僕もそれ、当たってると思うんですよ。大学で石彫をやる人が一番マッチョで肉体自慢の人が多くて、木彫の人ってそのへんが、まあライトな感じがあって、流行りにも敏感で。で、粘土をネチネチやる人はけっこう優柔不断で、(笑)まあ、そういう人が集まるみたいな、何となくそういうのがある気がするんです。

生島:近藤君は基本、粘土だよね。

近藤:基本、粘土です。木を彫ったりもするんですけど、原型を粘土で作って型取りして、何らかの素材に置き換えるというかたちでやってます。
 これは石膏で型取りをして、そこにFRP、強化プラスチックですね。それとか、セメントに置き換えたりとか。最近は主にセメントに置き換えてやってます。

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2006 Dilemma(2008 studio Komegura「絶対零度」より)


立っているということ

生島:俺はけっこう近藤君の作品でいうと、「絶対零度」のときの柱の作品とかが好きなんですけど、でも近藤君の作品の中ではかなり異質ですよね。

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2008 Polaris -Octagonal pillar- (2008 studio Komegura「絶対零度」より)

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2008 絶対零度 Absolute zero(2008 studio Komegura「絶対零度」より)

近藤:「ポラリス」ってやつ。

生島:モノリスじゃなくてポラリスね。

近藤:ええ。でも、この柱の意味合い的にはモノリスの立ち姿と共通する部分はあるんですけど、これは田川の「コメグラ」っていう普段は共同アトリエのところで展示したんですけど、ここの天井の高いスペースを見て、まあ柱だな、と思ったのがでかいですね。それプラス人を並べるというか。柱のこの立ってる感じというのも、幾何学的形態で、でもその立ってる存在というのが人っぽいというか、不気味な感じ、立ち姿が人でないようで人っぽいような。

生島:どういう意味なんですか? ポラリスというのは。

近藤:北極星のことです。

生島:北極星。これはオクタゴン?

近藤:それは八角形。八角柱です。制作期間は一ヶ月くらいですかね。

生島:さっき吉原君も言ってたけど、ものを置いただけで彫刻になるやないか、みたいなことをさっき言ってたじゃないですか。これなんかまさに、ただの柱やけど置いただけで彫刻になるって感じがすごくするんですけど、置いたらけっこう彫刻になるんすかね? 何でも(笑)

近藤:どういう場所か、ということが重要だと思います。あと、何かやりますと言ってそこにものがあるのと、唐突にそこにあるのと、同じものがあるのでも全然違うものに見える、と思うんですね。で、特にいわゆる彫刻みたいな、人物的な形をしたものだと彫刻だってなるけど、そうじゃないものであれば、場所によって彫刻であるか、というか何であるかということが決まってくると思うんですよ。逆に言うと、日常的なものを、展示しますと言ったところに持って行くと美術作品になるみたいな、よくある話として、そういったことも混ざって来る。

吉原:日常品だと、レディメイドみたいな。

近藤:まあ、そういうもの、がある。

吉原:それこそ、彫刻やる人にはよく言われる話ですけど、重力の話とかあるじゃないですか。それをどうするか、どう捉えてどう利用するか、とか。立体物を作る上では絶対に切り離せない問題としてよく言われるんですけど、そういうのって、単純に何か立てるのって、すごくシンプルにそういうものを作る人っていますけど、そういうのはどうなんですかね。

近藤:まあ、それはあると思います。それとは別に本来寝てる方が安定するものを、敢えて立てるとか、そういうところに人の手を介在させて何か存在感を変えてしまう、という、そういうことはけっこう、作品の形式が違っても、いろんな作品に見れるポイントじゃないかな、と思います。

生島:その、立ってるという状況が既に人間的というか、人工的ということですか?

吉原:人の手が介在する、という話がまさに重要なんですよ、僕の中では。僕の中では、不自然なことだと思ってるんですよ、作品を作ること自体が。で、あとよく思ったのが、ちょっと話が散らかるんですけど、あの、剥製がすごく好きで、動物の。あれこそ、死んでるものを無理矢理生きてるように見せて、立たせて、展示までしちゃって、何かすごく暴力的なことしてるんだけど、でも何か格好良かったり、色気があったり、そういうことがすごく気になってて、それで僕の作品は、ちょっと簡単な説明になってしまうかもしれないけど、木を使った剥製なのかもしれない。木の剥製なのかな、と。でも、最終的なビジュアルは木になってないから、もちろんそれだけじゃないんですけど、まあちょっとそういうところはあるのかな、と思いますね。

近藤:死んでるものが立ってるという、剥製の艶っぽい感じって、その "死んでる" けど、みたいなところが大きい感じがして、

吉原:あとライティングもそうで、ライティングによって色味もちょっと違うじゃないですか。自然の状態で見るのと全然違うから。

近藤:まあ、立ってるってこと。長細いものが寝てるんじゃなくて立ってたら、体で何か生きてるんじゃないかって反応するみたいなこともあるのかなって気はします。だから、例えば柱が立ってるとかでも、ある種不気味なところっていうのは、そういう感じなのかな、と。決して動かないし、生命活動もしてないけど、何か人影みたいなものを感じるというか、その不気味さとか不思議さはあると思いますね。

・コメグラ:福岡県田川市にある共同アトリエ兼ギャラリー
・モノリス:(建築彫刻用の)一本石,一枚岩。オベリスクや石柱のように巨大な1個の石でできた建造物。ここでは、SF作品『2001年宇宙の旅』に登場する石柱状の謎の物体を意識していると思われる。


・Return of the "彫刻三人衆"(3)に続く

Return of the "彫刻三人衆"
Return of the "彫刻三人衆"(3)

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