江上計太の生き抜き方(2)

展覧会「EGAMI KEITA NEW DEPARTURE」期間中に行われたアーティスト・トークの内容をお届けします。(全3回)

三嶋 で、また話変わります。すみません、どうしてもお金の話がしたくて(笑)。展覧会の履歴をみてみると、85年に初めての個展をされていて、そのあと1990年を過ぎる頃から個展がだんだん増えてって、作品も買われだしているわけです。まあバブルの時期にうまく当っていう風にもおもえなくもないんですけど、そのときに、どういう経緯で(作品が)買われるようになったんですか?
江上 僕が一番最初に作品を買ってもらったのは谷口さんというその当時市美のボランティアをしている人がいらっしゃいました。その人が93年か92年か、僕がたまたまアルティアムで個展をすることになって、そこに『サイケデリック・バロキズム』というシリーズの、最初のをある程度まとめて展示したんです。それを谷口さんが見にきて、衝動買いをされたというのが最初ですね。作品が売れたのは。だから92年か93年だったとおもいます。谷口さんはそのあとも、まあなんというか、僕のパトロンみたいに半分はなっていただいているというか、小さいものも買っていただいたりしています。
三嶋 じゃあ、偶然そういう人に出会ったっていうのが大きいんですか?買われてお金が入ってくるということについては。
江上 egamiishima2.jpgそうですね。そういう人は一人しかいないんですけど。だから谷口さんにはお世話になっていますね。まあ、もっとパブリックに買われるっていうようなこと、例えばパブリックアートの仕事みたいなのは、東京で最初に、アートフロントで個展をやるんです。ヒルサイドギャラリーですかね。何年だったかな。それを見にきたセゾン現代美術館の中村麗さんという学芸員さんが、アートトゥデイに参加しませんかと、そういう風に続くわけですね。そしてその後に(黒田)雷児くんが推薦してくれた、フランスに留学するじゃないけど、何ヶ月か滞在製作して、そのフランスで制作したものをわざわざもち帰って(青山)スパイラル(ホール)で展示するっていうのがありました。そのときに、スパイラルで展覧会があったときにいろんなそういう美術業界の人がわりと見に来てくれるわけですよ。そのときに、何人かパブリックアートを仲介してくれる人がいて、それ以来少しそういう仕事がくるようになる。だから90年代後半ですね。96年くらいからかな。2001年くらいまでには年に1回くらい、まあ100万とかそういう仕事があった、ということですね。今は全然ないですけど。
三嶋 じゃあ、別にバブルと関係があるわけじゃなくて、一旦東京に出る機会があって、そこで…。すみません本当に僕は全く美術業界についての門外漢なんですよ。で、日本人で現代アートを買うっていう、コレクターだったりする人たちがいるんですか?
江上 東京にはいますね。
三嶋 そこに入っていくことができたっていうことなんですか?
江上 まあでもそれは、そんな長続きはしないですよね。もう最近はなんか全然そういう話はない。
三嶋 江上さんと同世代くらいの人で、福岡にもともとベースがあって、多少なりとも、多少なりともって失礼ですけど、美術作品で食っていってる人っていうのはいます?今。
江上 こちらにですか?
三嶋 いや、当時というか、80年代か70年代後半くらいに一緒に若いころ見てて、この人、今食えてるっていう人。誰かいますか?
江上 それはたぶん、分かんないな。でも東京で有名な人というか、たとえば中村一美さんとか絵で食っているなって感じはしますね。岡崎乾二郎はどうかわかんないけど。
三嶋 岡崎さん福岡なんですか?
江上 いやいや東京ですよね。こちらで食っている人って菊畑さん以外は、いないんじゃないかなとおもいます。
※菊畑茂久馬氏。ちなみに当日会場には九州派の斎藤秀三郎氏が来られていた。
三嶋 そうですよね。その話を聞いて、若いアーティストは絶望的にならないんかな?福岡でやってもなっていう。いや、僕はアートリエであった件の展覧会にちょとこだわりがあって、僕は個人的に興味があったんですよ、『九州でアートすることについて』っていうその意味あいが。江上さんはどこでも語られているとおり、大きなヨーロッパ・アメリカを中心にした美術史の文脈の意識しているとか、その最前線にあったミニマリズムとかっていうことをずっとおっしゃってて、別に九州でやるとかっていうことはあまり関係ない。作品そのものの質はそこをめがけてやっているんだっていうことを、常々おっしゃっているですけど、それを見てもらうために東京とかに出るかっていうと、出てはない。
江上 いやそういう気は全然ないですね。
三嶋 それはただ福岡に、ただいるっていうだけですか。
江上 いや、そういうことじゃなくて、僕はやっぱり福岡で…、なんていうんだろう、あの九州派に次ぐ、新しいムーブメントが興ることをね、切にね、願っていますから。だからその中の一人になりたい。要するに、基本的に福岡の作家と呼ばれたいっていうのが僕の意識なんですよ。
三嶋 ああ、そうなんだ。そういうのがあるんだ。
江上 うん。要するに外から評価されるときに、あいつは福岡の作家なんだと言われたいって僕は常々おもっています。
三嶋 そうですか。それは意外だな。
江上 要するに、外国の人からみても東京の作家じゃなくて、あ、あいつは福岡の作家なんだと、言われるようになりたいなと。
三嶋 へー、それは僕にとってはなんか結構意外な話なんですけど。いや、江上さんはそういうの関係ねえっていうスタンスとおもっていました。
江上 例えば、ジョイ・ディビジョンがね、あいつらはマンチェスターのグループだと、僕ら言うじゃん。それと同じようにね、僕は福岡の美術家だと言われたいなっていうことなんですよ、単純に。
三嶋 ああ、そこまで言われるとそうね。まあ今ちょっとジョイ・ディビジョンの話が出たけど、それは別にマンチェスターのシーンを代表しているとか、それがマンチェスターなのかっていうことじゃなくてね。で、ちょっとその話をすると、僕なりの時代の見方なんですけど、江上さんは僕より20ちょっと上なんですよね。で、いわゆる団塊の世代の端っこの方に属している。1970年前後に学生生活をされて、作家活動を本格的に始めるのは80年代ですけども、でもそれ以前に当然福岡にも現代美術というか、九州派がいて、77年に福岡に帰ってこられたときに、まあいわゆる絵とか普通の美術的な話と、そういう現代美術のシーンというのは福岡にありましたか?それ以前、九州派とか活躍されていたのを見られていたんですか?
江上 いや、全然知りません。全く僕は縁がなかったですね。
三嶋 じゃあ九州派のことを知ったのはいつですか?
江上 帰ってきてからです。
三嶋 帰ってきて。77年頃?
江上 うん。
三嶋 帰ってきて、IAFとかされていろんな話を聞く中で、っていうことですか?
江上 そうですね?
三嶋 九州派についてどうおもわれていますか?
江上 九州派について僕は、すごく尊敬しているんですけれど、作品についてはね…。なんとなくついていけなくって、あの、なんていうかな…、なんていうんでしょうね。作品、は、嫌だなっていう感じはありますね。
三嶋 その「嫌だな」はなんなんでしょうか?
江上 うーん、なんとなくダサいなっていう感じがありますね。
三嶋 ダサい?
江上 もうちょっとなんかこう、もうちょっとどうにかかっこ良くならないかなっていう感じがしますね。そこはまあ微妙で、僕の感覚だから。でも、生き方っていうか、そういう部分ではとても、尊敬しているんです。あれくらい自由奔放にね、僕も生きたいなと、できればおもって。
三嶋 自由奔放じゃないんですか、江上さんは(笑)。
江上 いや、どうなんでしょうね。それは(笑)。
三嶋 いや、これもまた話を分りやすくするためのカテゴライズですが、九州派ってある種の土着的なイメージというか、西洋近代とかにある全てこうまあ身体性とかを剥ぎ落として理念だけでやっちゃうみたいなところではなくて、もっとこう…、すみません、あまり良い言葉が見つからないんですけど…。
江上 まあそう土着性みたいなものはね、僕にはよく分からないんですけど、まあとにかく、僕の感じからすれば九州派に限らずそういう60年代のアバンギャルドっていうのはある意味では芸術と生活を一体化させるじゃないけど、そういう意識が強いものだとおもうんですよね。だからそういう部分に関しては僕もそうありたいとおもう。生活と芸術がね、どっかで一致するじゃないですけれど、そういう欲求はあります。要するに美的な基準と倫理的な基準じゃないけど、そういうものが交錯するところを目指していきたい。
三嶋 そのアートでというか作品の中で達成された何かが生きることそのものに繋がっちゃうみたいなことですね?
江上 そうそうそうそう、そういうことです。
三嶋 正直言うと、僕はこの話もよく聞くんだけど、「いや、嘘だ」って僕はいつもおもっているんですよ。江上さんって人は、その生活臭さみたいなものを全部剥ぎ落としたところにある、純粋な、美的な世界みたいなことをやられているように、僕にはおもえるんですけど?
江上 うーん、そういう風に見られがちだとおもうんですよね。たぶん。うーん。でも、やっぱりこう、生活の規範じゃないけどその生き方みたいなものにアートが半分足を踏み込んでないような芸術はさ、くだらないと思いますよ。
三嶋 自己分析してもらっていいですか。『サイケデリック・バロキズム』とか、ああいうマケットものを作られたときに、野暮ったい話ですけど、そこで江上さんが表現しようとしたっていうと嫌ですけど、そこで江上さんが出されているある種の倫理観っていうのは何なんですか?
江上 あのー、なんていうんだろうな…。その倫理的なものっていうのはうまく説明できないですね。たとえば美的な基準を満たしていても、倫理的な基準を満たしてないものの例としては、なんかある展覧会があったとして、それを評価する、まあコンペでも何でもいいよ、そういうものがあったときに、その審査員みたいな人がいたとして、「審査員はこう考えるだろう、こういう価値基準をもっているだろう、じゃあそれにあわせてこういうものにすれば賞をとれる」みたいな、そういうものでつくったとしてね、それでその美的な基準を満たしていても、それは倫理的な基準を満たしてないことになるんですよ、ある意味で。
三嶋 そのある形づけられた何らかのものに合わせて作ろうとしているからですか?
江上 自分の…曲げちゃうんですよ。自分にたいして正直じゃなくなっちゃうんですよ。それが倫理的な基準をみたしてないということなんですよ。
三嶋 それは作品をつくる姿勢であって、作品そのもののなかに表れるものじゃないじゃないですか?
江上 そうはいえないとおもうんですよ。そういうものはどこか作品のなかに沁み込んでくるじゃないですけど、そういうものだとおもう。なんとなく。
三嶋 そうっすね。まあこれを言葉で語ろうとするのはちょっと私の、いかんところかもしれませんね。でー、まあ、本当は作品の話はあんましたくなかったんですよ。
江上 うーんそうでしょ。ちょっと話が堅いじゃない。ちょっとビールもらっていいですか(笑)。
三嶋 いや堅い話っていうか、どうして食らいついて聞くのは、僕ら当然世代が違って、なんとなくアートっぽいことをやっている人間なわけですよ。で、江上さんは実際生きてこられたわけです、そういうことを30年くらい。ひょっとしたらテトラなんて来年無くなるかもしれないし、そんなの分かんないけど、想像できるんですよ…。美術大学出て、まあちょっと勉強したから、作品つくって、30位になったら、もう結婚せないかんなっつって、アートから離れていく、っていうことがあるわけです。でも江上さんはその年になってまだやられていたっていうことで、それをやってこられたっていうのは、それは気持ちの問題もあるし、客観的な状況の問題でもあるとおもうんですよ。品のない言い方だけど、それを真似できたら俺らも生き抜いていけるぜっていうところが、なんか拾えればいいなとおもって。
江上 実際、僕が30年くらい続けてこれたっていうのは、まぁある意味じゃ奇跡に近いですよね(笑)。
三嶋 そうですよね。奇跡ですよね、あ、それ言ったら終わりやん(笑)。
江上 うん(笑)。続けるのっていうのはとても…、やっぱり並大抵のことじゃないっていうか。まあこんなこと言うと偉そうで嫌なんですけど、とても難しいとおもうんですよね。実際。だから僕が若い人におもうのは、なんとか続けてほしいなってことなんですよね。
三嶋 なんとか?
江上 うんなんとか。なんとかこう、石にしがみついてでもやりとげてほしいなって(笑)。
三嶋 いや、ほんとに、みんなやりたい気持ちはどっか絶対あって、作品つくるんだとおもうけど、実際人に見せたりしなきゃいけない、ギャラリー借りなきゃいけない、とやっているとやっぱり疲弊していくわけですよ、やっぱ。それでも続けてこれたのってなんなんですか!
江上 egamiishima4.jpgそれはなんだろう。まあ例えで言うとね、僕は、ある思想とか理念とかそういうものがあったとして、それを重い思想か軽い思想かに分けて考える。重いか軽いかでいえば、普通でいえばさ、重厚なものが評価されるわけじゃん。だけど僕はそうは思わなくって、要するに軽薄で軽いやつ、そういうもののほうが、よりかっこいいかもしれない、っていう判断があるわけですねどっかに。要するに重たさに走ると続かないっていうか。挫折するに違いない。軽いものに向かう。それは持続させるのに一つの考え方としてはあるんじゃないかな。要するに重たさと軽さでいえば軽さをとる、それと、深さと浅さみたいなことでいえば、これも普通に考えれば深遠な思想ほど評価されるわけだけれど、それも重たさと同じで、深淵なものに向かうとね、途中でまた挫折する。要するに深くて狭くか、広く浅くいくかっていったら、広く浅くのほうが絶対良いという風におもう。広く浅くやったほうが中続きするじゃないけど、そういう風におもう。それともう一つ、高いか、高さか低さか、っていうところでいえばね、これだけはね高さを、高さを絶対に指向しなきゃだめだ。
三嶋 それはなんとなくわかる。
江上 要するにね、高いものを目指す。これだけはね絶対捨てたらいけない。これだけがある意味のアーティストとしての、倫理なの。
(続く)

江上計太の生き抜き方(1/3)

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