ACCORDING TO WHAT 02 - 宇都宮聡写真展

会期…2008年10月7日(火)〜19日(日)
時間…13時〜20時
休館…10月14日(火)
主催…A2Wシリーズ実行委員会

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写真展シリーズ『ACCORDING TO WHAT』では、「見ること」について思考するための足掛かりとして写真だけに焦点を絞り、そのような思考を促す写真を日々撮り続けている写真家を取り上げていく。

「すなわち、わたしたちは何によって何かを見ているのか。
(That we see something according to what.)」
—岡田隆彦
 

宇都宮 聡(Satoshi UTSUNOMIYA)
1985年北九州市生まれ。2006年 専門学校 九州ビジュアルアーツ卒業。2006年個展「いつか記憶からこぼれおちるとしても」(ギャラリー博、福岡)。現在、福岡で活動中。
 

語りべが、ひとつの物語を語りはじめる。その優しい語り口調に誘われて、そっとその世界に向かって私たちが身を乗り出すと、語りべは急に押し黙り、終ぞ 口は開かれない。呆気にとられた私たちは前のめってしまい、バランスをとろうと両腕をばたばた回す。宇都宮聡の写真を見ているとそのような感覚に陥って しまう。小説における「私」が、物語る「私」と筆者である「私」と読者である「私」との間を行ったり来たりするように、彼の「ふと目にした光景(を写し た画像)」を前にすると、その光景を前にしているのが誰なのか一瞬間、不分明になる。ところで「ふと目にした」の「ふと」とは何気なくということなのだ から、ふと目にした光景をふと撮るためには、ふと目にした刹那にシャッターを押さなければならない。云うまでもなくそれはスナップショットと呼ばれる手法だが、彼はその手法を採用していない。おそらく彼は撮影の際、ふと見た光景を再現すべく、「非人称的なカメラアングル」とでも呼ぶべき「角度」をその都度発見しているのではないか。彼が撮った路地裏の写真を例にとってみよう。右半分にはガスメーターやポスト、植木鉢がならぶ数戸の玄関を持つ長屋が空間的な奥行きを持って写し出されている。狭い路地を挟んだ反対側(左側)にも同じような長屋があることは牛乳受けと植木がのっぺりと平面的なレイヤーと なって見えることから察する事ができる。奥にあるブロックと柵とで路地は行き止まり、さらには白い家の壁によって画面の抜けはひどく悪い。それでも閉塞感を伴わないのは、画面中央からやや左の路地上に置かれた開きっぱなしの傘の愛嬌によるところが大きい。アスファルトが濡れていないところを見ると雨はとうに止み、濡れた傘を陰干ししているのだろう。影は薄く、曇天の下を歩いていた彼はこ傘をふと見つけ、その微笑ましさを撮った…。と、じっくり観察すればこのような描写も出来るのだが、初見の際には、まるで自分がふと目にした光景であるかのような錯覚を覚えてしまった。どうやら、左端に写っている壁と雨どいのぼんやりとしたボケ具合がそう感じさせた要因として考えられそうだ。画面全体の五分の一を占めるこのボケた部分(左側)と右半分の長屋が促す奥行きによって、開きっぱなしの傘を容易に見つけることができ…、まるでぶらぶら歩いていて、ふと目をやった路地裏に傘を偶然見つけたかのような…、つまりこの誰のものでもないアングル(角度)とは誰もが躓ける石のようなもので…。さて、長々と喋り過ぎの語りべを押し黙らせるべく、今度はあなたが彼の写真の世界に身を乗り出してみようか。きっとあなただって、彼の写真を前にすれば両腕をばたばたさせるに決まっている。
尾中俊介/A2Wシリーズ実行委員会